6月19日は、小説家・太宰治の誕生日でもあり、遺体が玉川上水から揚がった日。毎年、全国各地で生誕祭や桜桃忌が行われる。
桜桃忌というと、東京・三鷹の禅林寺で行われるものが一般的だ。今年は、新型コロナウイルス感染症の影響で、墓参しているファンは少なかったように思われる。なお、禅林寺で行われる桜桃忌は、特に主催者はいない。ファンが自発的に集まってきている。
太宰治は、もちろん小説家だ。だが、気まぐれに描いた絵が何枚か残されている。また、画家との交流もあった。今回は2人、紹介しよう。
まずは、桜井浜江(1908〜2007)。太宰の短編小説「饗応夫人」のモデルとなった画家だ。太宰は晩年、三鷹で暮らしていたが、桜井も三鷹に住んでいた。いわゆる「男女の仲」ではなく、友人としての付き合いだったようだ。
太宰や編集者たちは飲んだあと、桜井の家に行き、酒を飲んだり寝泊まりしていた。そのときの桜井の歓待ぶりが、「饗応夫人」では描かれている。
桜井は山形出身の画家で、独立美術協会に所属していた。実際、作品を観ても、独立の他の作家たちと同様、抽象的な画風だ。三岸節子と女流画家協会を設立したことでも知られる。
太宰が残した自画像と思われる絵を観ると、どこか桜井の絵と色遣いが似ている。桜井を真似して描いたのか、知らず知らず影響を受けていたのか、それは定かではない。
もう一人は、阿部合成(1910〜1972)。阿部は、太宰と同じ青森県出身の画家だ。太宰の単行本『千代女』の装丁画を描くなど、公私ともに太宰と交流を重ねた。太宰はよく「無頼派」と呼ばれるが、阿部もまた、美術の世界では「無頼派」だろう。力強い画風で、庶民の暮らしなどを描いた。
のちに、ニューヨークやメキシコに移り住み、メキシコでは「一躍スターになった」と、新聞で評されるほどだった。
太宰の師匠でもある井伏鱒二は、もともと画家志望だった。当然ながら、文学と美術の世界は、同じ芸術ということでつながっている。文学の才能と美術の才能を兼ね備えた芸術家もいるが、それはまたの機会にご紹介しよう。